東京オリンピックから2年。サーフィン会場となった一宮町では大会のレガシーを未来に繋ごうと様々な取り組みが行われています。そしてその未来を担うのが地元の子どもたちです。その1人、9歳のキッズサーファーを取材しました。
大江さん「大江こなみです。9歳です」
Q.今日の波はどうでしたか?
大江さん「見た目は結構速かったけれど、なんとか波にターンは入りました」
大江 こなみ さん、一宮町の東浪見小学校3年生で9歳のキッズサーファーです。大江さんはこの日、元プロサーファーのお母さんと、同い年の友達と一緒に東京オリンピックの会場だった釣ヶ崎海岸、通称:志田下(しだした)の波に乗りました。
Q.練習は1週間にどのくらいする?
大江さん「毎日」
Q.毎日練習してて楽しい?
大江さん「はい、楽しいです」
Q.うまく乗れたときは気持ちいい?
大江さん「スッキリして気持ちいいです」
Q.その感覚はサーフィン以外では、なかなか感じられない?
大江さん「そうですね」
大江さんは、両親の影響で保育園の頃からサーフィンを始めました。そして、小学校入学に合わせ家族で一宮町に移住しました。
母・大江 なぎさ さん
「学校から帰ってきてすぐに海に行けて、サーフィンをやりたい子どもたちが全国から集まってきている」
「環境的にもサーフィンに適していると感じて引っ越してきた」
最近、移住先として人気の一宮町。大江一家さんのように、サーフィンの為に移住する家族も多いようです。
地元、東波見小学校の児童数も増え、15年前の2008年に83人だったの児童数が現在は149人に。学校によりますと、このうちのおよそ3分の1の子どもたちがサーフィンをしているということです。
Q.学校の友達もサーフィンしていますか?
大江さん「してます。クラスに結構います」
Q.一緒に練習したりも?
大江さん「します」
Q.友達と一緒に練習できるのはどうですか?
大江さん「楽しいです」
Q.学校でもよくサーフィンの話をする?
大江さん「はい、します。『昨日の波は良かった』とかそういう話はよくします」
Q.友達よりうまくなりたいとかは?
大江さん「あります」
大江さんのようなキッズサーファーが増えたことについて、地元の人たちはどう受け止めているのでしょうか。一宮町サーフィン業組合長・一宮町議会議長の 鵜沢 清永 さんに聞きました。
鵜沢さん
「オリンピックが一つのきっかけになった」
「今までサーフィンはスポーツとして認められていなかったので、オリンピックをきっかけにスポーツの位置づけとなり、そこに向けて子どもたちが夢をもって増えてきたのは良いことだと思う」
「単純に応援したくなるし、町も『サーフィンの町』で謳っているので町的にも盛り上がる」
キッズサーファーで活気づく一宮町。こうした流れを根付かせようと、町ではオリンピックの後も世界レベルの大会が開かれるとともに、その同じ場所で地元の子どもたちが参加できる”海の運動会”のような大会も開かれました。
鵜沢さん
「この町にこのまま住んでもらい、この町からオリンピック・世界に向けて頑張ってもらい、そこを僕らが応援していく」
「やっぱりそこがいないと次がいない、その子たちが世界に出て活躍することで一宮町の釣ヶ﨑海岸は残っていく」
「それは彼らにどんどん託されていくのだと思う」
一方子どもたちは、サーフィンの聖地一宮町のことをどう思っているのでしょうか。
Q.一宮町はサーフィンをするのに良い町だと思いますか?
大江さん「はい。サーフショップもあって、サーフィンをするところも近いし結構良い」
Q.これからも一宮町でサーフィンを続けたい?
大江さん「はい」
Q.一宮町は好きですか?
大江さん「はい。波が良く、友達もたくさんいて楽しい」
大江さんは、インタビューで何度もサーフィンは“楽しい”と話してくれました。最後に、そんな大江さんに将来の目標を聞いてみました。
大江さん「目標はプロサーファーになり、世界のトップ選手になる」
Q.それでオリンピックに出る?
大江さん「はい」
(newsチバ 2023年8月22日放送分より)