千葉県一宮町出身のプロサーファー・大原洋人選手が東京オリンピックの出場を決めました。
東京五輪の最終予選を兼ねて、エルサルバドルで開催された「2021 ISAワールドサーフィンゲームス」。
大原選手は、敗者復活12回戦で、序盤から積極的な攻めを見せ、代表争いをする村上舜選手との直接対決を制し、見事、東京オリンピック出場を決めました。
決勝では、思うように点数が伸びず4位に終わりましたが、念願だった舞台への切符をつかみ、晴れやかな表情を見せました。
大原洋人選手
「素直に嬉しい。地元で開催される五輪なので、どうしても出たい気持ちはあったし、この試合のために、このコロナ期間中、先が見えない中でも練習やトレーニングを、前向いて一生懸命やったのが、結果につながったと思う」
「五輪は地元(開催)なので、みんなが感動してもらえるような演技をして、一番良い結果を出したいと思うので、また応援お願いします」
“最後の1枠”をものにし、五輪出場を決めた大原選手。
彼はもともと、父親の影響で8歳からサーフィンを始めました。
初めて波に乗ったのも、東京五輪でサーフィンの競技会場となっている地元・「釣ヶ崎海岸」です。
18歳の若さで出場した2015年のアメリカ・カリフォルニアの「USオープン」では、日本人として初優勝を飾るなど、これまで数多くのタイトルを獲得してきました。
そんな彼の成長をすぐそばで見てきた父親・大原剛さんは、チバテレ+プラス編集部の取材に、「ホッとしている。村上選手と2人で争っていて毎日不安だったが、あきらめないで最後まで応援したいと思って見届けた」と話しました。
大会が開かれたエルサルバドルと日本は約15時間の時差があり、大原選手が出場する試合は、日本時間でいう“未明”に行われていましたが、剛さんは毎日夜中に起きて、息子の試合を欠かさずに見ていました。
「試合を見た後は興奮して眠れず、そのまま仕事に行っていた。日本にいるのに時差ぼけ」と笑っていましたが、その声からは息子を思う気持ちが伝わります。
試合後には、毎回「最高によかったよ!」「板どうだった?」などのメッセージを送り、五輪出場が決まったときにも「おめでとう」と伝えたということです。
父親からのメッセージに大原選手は「ありがとう。また頑張るよ!」と一言。
剛さんは、「短い文章だったが、一言二言で思いが十分に伝わってきた。文章からどういうマインドでいるかわかる」と話します。
また、剛さんが語ったのは、2年前の世界選手権のこと。その時も、大原選手は敗者復活に出場することになりましたが、本選に出られなかったメンタルですぐに負けてしまったといいます。
そのため、今回大原選手が敗者復活に出場すると決まった時、剛さんは、その試合を脳裏に思い出したといいますが、「すごくいきいきして、試合運びをしていた」「本人は、思ったよりも強かった」とメンタルも技術面も含めて、成長した姿を感じたということです。
「父親の自分が、してやれることは何もない」そう話す剛さんですが、どんなときでも息子の活躍をすぐそばで見守り、地元で開催される五輪での活躍も願っています。
また、大原選手の地元で、東京五輪でサーフィンの競技会場となる一宮町の馬淵昌也町長は、「サーフィンの競技地に選ばれただけでも名誉だったが、その舞台に地元出身選手が出場するのは、本当にうれしい」「大原選手の活躍を通じて、サーフィンは一宮町にとって大事な財産・かけがえのないスポーツだと町民の方々に実感して頂ける」と話しています。
開幕まで50日を切った東京五輪。
大原選手は、ホームである釣ヶ崎海岸(通称:志田下)で地元の期待を背に金メダルを目指します。